農学研究院 川原 学 准教授(遺伝繁殖学研究室)

背景・目的

 受精卵は父と母に由来する遺伝子セットが決定し、新しい命の源そのものであるため、受精卵作製は動物生産の根幹を成すものといえます。農学領域でも、主要家畜であるウシの受精卵移植による個体生産の件数は年々増加傾向にあり、遺伝的能力が高い個体あるいは高価格品種の個体の生産などを目的に不可欠なものとなっています。受精卵の健全性を評価するためには、受精卵の発生機序を正確に知る必要がありますが、哺乳類初期胚発生の分化機構には種特異性があり、それらを特定し整理することで、健全なウシ受精卵の評価および新たなウシ受精卵生産系の提供が可能になります。

研究内容

 受精卵の発生はまず胎子の成長に必須な胎盤の前駆細胞となる栄養膜細胞を形成することに始まり、この仕組みはHippo経路というシグナル伝達経路が重要であることがわかっています。一方で、栄養膜細胞を他の細胞と区別する最も重要なCDX2というタンパク質があります。CDX2発現にYAP1タンパク質の核内局在が必要となり、これがHippo経路によって調節されていることがわかっていました。しかし、一般的に受精卵移植に供される胚盤胞期のウシ胚における栄養膜細胞のYAP1核内局在は、他の動物種とは異なり、極めて不安定でHippo経路非依存的に局在変化することが判明し、哺乳類初期胚における細部分化調節機構の多様性が示されました (Yamamura S. et al., Dev Biol, 2020)。

 また、従来のウシ胚培養系ではマウスやヒト胚とは異なり、細胞分化の観点から未成熟な胚盤胞期までしか発育させることができませんでした。したがって、細胞分化機構の解明が進んでいるマウスやヒト胚の知見との比較が困難で、ウシ初期胚発生の全容解明の障害となっていました。そこで、発育培養期間の延長を試み、気液境界面培養法により気相および液相にウシ初期胚を暴露する新しい培養系を考案しました (Akizawa H., et al., FASEB J, 2021)。その結果、完全に細胞分化を完了したウシ胚盤胞期胚を効率よく作製することができるようになり、この新培養系で作製した胚から子牛を誕生させることもできました (図 2)。

展望

 ウシ初期胚発生は、マウスで重要とされてきた分化調節因子そのものは概ね役割は似ているものの、局在調節や発現発動の仕組みが大きく異なる可能性が出てきました。種が異なれば仕組みも異なるとはいえ、ウシは実験動物ではないため研究が進んでおらず、その分まだまだ調べ明らかにしていく課題が山積しております。そして、哺乳類初期胚の発生機構の全容を理解することは生物学的にも極めて重要かつ興味深い課題だといえます。そして、これらの機構を丹念に理解していけば、色々なやり方でウシを生産できることになり、育種のためのエリート牛作製や後継牛の効率的な作製など多様な動物生産目的に応じた新しい受精卵作製方法の提案に結び付いていく基盤構築に寄与すると期待されます。