「農学」とは?

農学部長・農学院長・農学研究院長 横田 篤

今あらためて「農学」の持つ意味について考えてみたいと思います。農学といえば誰しもがまず「農(agriculture)」すなわち農耕、農業に関する学問を連想すると思います。農学とは、間違いなく、大地を耕し、人が生きるために必要な「食料の生産」をあつかう学問です。ラテン語の原語で大地はhumus、英語では土壌の有機物を成す腐植をさします。そこからhuman(ラテン語、英語)が生じたとされます。つまり大地と人間は一つと考えられてきたのです。この意味で農学は最も人と密着した学問領域といえるでしょう。では今、農学に求められている究極的な目標は何でしょうか?それは近未来に90億人にも達すると予想される「地球上の人口を養う持続的な食料生産技術を確立すること」です。これはオイルショックを機に大量投入型の農業が見直しを余儀なくされた1970年代からの懸案であり、今後一層困難な課題になるものと予想されます。

この目標を達成するためには食料生産に関わる様々な課題に総合的に取り組まなければなりません。すなわち農学を「食料の生産」という直接的な狭い意味で捉えるだけでは不十分であり、地球上の限られた資源の範囲内でそれを成り立たせる様々な要素を全て含めて考えなければなりません。例えば、不良環境でも収穫できるすぐれた品種の作出、環境と調和した肥料や農薬の開発が必要です。農畜産原料から安全な食品を製造する技術、食と健康の関連性の解明、循環型社会を成り立たせるためのバイオマスの利用技術も必要です。農耕地を健全に保つにためにはその周辺環境の保全が大切です。森は水や土を保全し、地滑りによる農地や牧畜地の喪失、土砂の流亡による河川や海洋の汚染を防ぎます。こうした農林地環境を管理するために、作物の生育状況を含めた正確な環境計測技術が必要になります。また、近年ますます顕著になる気候変動による干ばつ、洪水、温暖化などが作物の収量に大きく影響します。この地球規模の変化を緩和しなければなりません。さらに食料の分配や安全保障をあつかう社会科学的な研究も必要になります。こうして考えると、「農学」はつねに「人」と共にありながら、「食料の生産」に関わる極めて広い範囲の課題を扱う学問領域であることに気づきます。関連するすべての皆様に、広い意味での農学の全体像・目標を是非ご承知おきいただきたいと思います。

農学部の理念

現在、いわゆる北海道大学農学部は、学部生の所属する農学部、大学院生の所属する農学院、教員組織としての農学研究院の三つの組織からなります。私たちは農学研究院・農学院・農学部の目指す理念を「生物圏に立脚した生存基盤の確立を通して人類の持続的繁栄に貢献する」と定めています。これは前項で述べた農学に求められている究極的な目標としての「地球上の人口を養う持続的な食料生産技術を確立すること」と同義です。この理念を実装するために私たちは次に述べる4つの重点研究領域を設定しました。まずバイオテクノロジーに代表される基礎生物科学です。これは他の全ての領域の土台を支える基盤となります。次にこの上に3つの研究領域が区別されます。第一に「食料生産」,第二にそれを支える「環境」、最後に「食品製造・流通・利用」です。各研究領域は独立したものではなく、むしろストーリー性をもって相互に密接に関連し、それぞれが協力することで初めて持続的な食料生産に関する課題が解決されます。私たち教員はこのことを常に念頭に置いて広い視野を持って教育研究にあたるだけでなく、これを学生にも認識させるように努力しなければなりません。特に教員や学生が各自の取り組んでいる研究テーマや各自が所属する研究室を互いによく知り、それらが重点研究領域のどの部分に位置するのかを理解することが大切です。こうすることで組織全体に一体感が生まれ、かつ各自が方向性を見失うことなく、より独創的な研究を展開できるようになるでしょう。

札幌農学校はUniversity

北海道大学農学部は1876年に設立された札幌農学校に起源を持ち、140年という年月を経て発展してきました。現在の農学部は、生物資源科学、応用生命科学、生物機能化学、森林科学、畜産科学、生物環境工学、農業経済学の7つの学科から構成されています。持続的な食料生産に関する様々な課題を解決するために必須であるこれらの学科の起源は、すでにクラーク博士が定めた札幌農学校の授業科目に見ることができます。また、農学研究院に現在約50ある研究室は、各学科の設置とともに長い時間をかけて順次整備されてきましたが、上述の4つの重点研究領域に過不足なく区分けすることができます。こうして見ると、農学部は農学に必要なすべての学問領域をバランスよく含む組織となっており、クラーク博士の先見性は驚嘆に値します。そればかりでなく、そこから派生した人文科学を含めた様々な学問領域が土台となって総合大学としての北海道大学が形成されました。大学を表すuniversityは、語源として「世界」あるいは「全体」の意味を持っています。農学部および北海道大学の源である札幌農学校はまさに今日の農学の課題解決に必要な全ての教育研究の源流となっており、私はuniversityに値すると考えています。私たちは歴史に育まれた教育研究組織に所属していることに誇りを持ち、広い視野で一丸となって農学の課題解決に向けて取り組んで参ります。このような使命に共感を持って農学研究院・農学院・農学部を目指す国内外の全ての皆様を心より歓迎します。