主要な農機具標本の紹介−3



初期の発動機


 日本での農業動力は、有史以来の長い期間を専ら人力に頼ってきたが、明治時代を通して北海道の畜力機械化、次いで畜力犂の普及による機械化を実現して「畜耕手刈」の技術が確立される。一方、納屋周辺では水車を動力とする調製作業が行われたに過ぎなかったが、1900年代に一部でスチームエンジンが使われた後(重要文化財第2農場のトップページ参照)、第一次大戦後に石油発動機と呼んだエンジンが紹介され、これは作業機と異なって直ちに国産化される。農業に限らなければ、今日の機械工業でエンジン製作を創業の契機にした会社は少なくない。

 

 左の写真に示すエンジンは、1916(大正5)年から数年以内にアメリカから輸入された農業用エンジンで標本として展示している。これらを参考にして数年後には国産機が現れた。一方、右の大型機種は徳川一族が入殖した八雲町郷土資料館に保存され、農家を順に巡ってサイロにサイレージを吹き上げるために使われた。運搬用の台車の車輪が身長ほどあるから、その大きさを想像してほしい。農業分野では、このエンジンの後にモーターも紹介され、1935(昭和10)年代までに全国に行き渡って屋内の定置作業は動力駆動になった。また、増産の叫びに呼応して足踏み水車からモーターやエンジン駆動の灌漑ポンプも普及し、水田面積の拡大に役立った。

初期の乗用トラクター


 定置作業は動力駆動になっても圃場作業は畜力牽引であったため、トラクターによる機械化が待望された。すでに農用エンジンとほぼ時を同じくして歩行型のトラクターが輸入され、ごく一部の大規模農場で利用されていた。上左の写真は、1920(大正9)年頃に輸入されたハンドトラクター(動力耕耘機)であり、エンジンの動力で土を掘るタイン軸を回転させて田畑を耕して進む構造である。この形式は手元のエンジンと耕耘機構を組み合わせればよいことから、各地の機械好きが自作開発に取り組み、実用性のある機種も登場した。また、北海道では耕耘部のみを駆動させて作業幅を稼ぎ、馬で牽引する構造のものも作られた。これらは全て農家の高能率と省力作業への強い憧れがなさせたものであり、折から第2次大戦の労力不足と結びついて戦後のトラクター機械化の先進地となった岡山県の興除村の活動へとつながって行く。
 一方、大規模経営農場では、乗用トラクターの導入に踏み切り、1935(昭和10)年の北海道農業統計では50台が普及していた。上右の写真は、明治中期から札幌郊外で軍馬、競馬馬、動物園などに販売する牧草業を営んでいる農場が、1926-28(昭和元-3)年の間に3台購入した内の1台のトラクターである。アメリカ製で20Psのエンジンを有し、ミッションと終減速部が一体になってフレームを兼ねた構造で、鉄車輪で走行する。今も牧草業を営む同農場では、牧草の刈取りから収納までと施肥作業に使っていた。なお、第2次大戦のおかげでゴム車輪が開発され、1950(昭和25)年に農水省が3台導入し, トラクター時代の幕開けとなる乗用トラクターは、今と同様のゴム車輪に代わっていた。
日本農業は、戦後の工業振興と共に労力を都市に奪われて労働者が不足するようになるが、特に神武景気などと都市の景気が良いと急速に機械化を進めることになった。昭和30年代は、前者の歩行型耕耘機による機械化、昭和40年代以降は、後者の乗用トラクターによる機械化で今日の省力体系を築いた。


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