農学校農場での作業風景


 作業は2頭引モーアでの牧草刈
  中央の遠方は荷馬車の運搬


主要な農機具標本の紹介−1


チエンレーキ式リーパー


 「リーパー」は麦類を刈取り小堆積を作って進む機械であるが、アメリカ大平原の開拓と南北戦争の労力不足を契機にして開発され、それまでの人力作業に代わって高能率収穫を実現した画期的機種である。さらにリーパーは、結束機能を追加してバインダーとなり、さらに今日のコンバインにまで発展して世界の穀類収穫機の元祖となるため、農業技術発展のシンボル的機械でもある。


上の左の写真に示すリーパーは、開発者として有名なマコーミックと競って1868年に開発された機種である。これは4頭の馬で牽引し、麦を前方のバリカン状刈取り部で切断し、上方のリールでプラットホーム上に倒すと、掻寄せ板を付けたレーキが間欠的に落として麦の小堆積を作る機構になっており、アメリカの博物館でさへ希有な資料とされていて、保存標本の中で最高級の資料に挙げられる。第2農場では、1880年代にマコーミックが開発したリーパーを次の機種として導入し、その後も2度の更新を行って昭和30年代まで継続して利用した。上右の写真は2ー3代目の主要部標本であり、それぞれは完全な姿で保存できなかったものの、その発展過程を示す部分が保存されている。

北海道開拓の初期に普及したプラウ

 左の写真は、1873(明治6)年頃に開拓使東京官園で撮影された「プラウ耕実習の景」であるが、ここに示されるプラウは、下左の写真に示す札幌農学校第2農場に展示する標本および下右の写真の八雲町郷土資料館所蔵のプラウと全く同型である。さらに伊達博物館にも同型のものがあり、使い古して鍛冶屋で修正した後もあって、このプラウが広く普及したことが裏付けられる。これは刃幅が18cmで非常に小さく、1日に50a程度の作業量しか望めないから、人力耕耘(熟畑で1日7a程度)よりは能率的であるとして我慢するよりないが、これも牽引する馬がひ弱なことと、開拓地で木の根が障害になるため、これも精一杯の高性能機であったと考えられる。
さらに大型のプラウが普及するのは、強力な農耕馬の品種改良と普及、さらに畑が熟畑化する1900年前後を待たねばならない。

  

農場初期の農具

 すでに開拓の完了した官園を受け継いだ第2農場は、前項の民間と異なり輸入農耕馬を所有して大型畜力機械化作業を実現していた。本ページの冒頭に示した写真は、農場での作業風景を示すが、これらが全て標本として残されており、前述のリーパー、2−4頭引の2連プラウ、各種の砕土用ハロー類、牧草を刈るモーアやレーキなどを見ると、入殖者にとって別天地の感があったであろう。


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